前回に引き続き、子どもの生活と主体性について伝えたいこと。

都島児童館

第二回はこちら。

あそびと片付け

  

児童館の活動の中で中心となるのが“あそび”。小さな興味関心から子どもたちはあそび始め、何度も繰り返し、ときに離れながらそのあそびを発展させていきます。そんな関心はひとところに留まることはなく、興味を惹かれるままに気移りし遊び続けます。

 

すると、疎かになるのが“片付け”。レゴをしていると思ったら別の子がやっている工作に興味を示し、その横でやっている将棋に口を出していたらいつの間にか自分も参加していて…というようなことは日常茶飯事。

 

「先にこのレゴ片付けや―!」と声をかけても

「まだやってるねんー!」と返事が返ってきます。

 

その場しのぎの言い訳にも聞こえますが、本人にとっては続いているあそびなのです。私たちで言うと、書類を机に広げて整理し始めたところでメールが入り、その返信を打っている最中に電話が鳴って先週送ったデータを直して再送するよう言われたのでPCを開いて編集しているところで「この机の書類片付けや」と言われているようなものでしょうか。たしかに「まだやってんねん!」と答えてしまいそうです。

 

大人としては、「次のあそびをするなら片付けてからしてよ」と思ってしまいますが、児童館ではあそびを途切れさせて片づけをさせることは、できるだけしていません。下校後の短時間のなかで片づけが先に来ると、あそびが制限されてせっかく生まれた好奇心の芽を摘んでしまうことになりうるからです。後述しますが、実際に芽生えた関心を「先にある片づけ」で潰してしまうことはあるのです。もちろん、帰る時間を見込んで声をかけることもありますが、なによりも子どもたちの熱中している姿を大切にしたいと考えています。

 

だからと言って実際に「片づけの声掛けをしない」というわけではありません。宿題、おやつ、休息などのタイミングで、適宜声をかけています。「熱中していて」ではなく「めんどくさいから」であれば、かなりしつこく声をかけるのでまあまあ嫌がられます。

 

片づけは子どもたちの生活に必要な活動ではなく、子どもたちが快適に生活するための手段です。「片づけをしなくていい」のではなく「あそびや興味を大切にし、生活を快適にするために片づけができるように援助している」と捉えていただければ幸いです。

秘密基地〜自分のスペース〜

 

夏休みに入ると一日が長いため、昼食前に一度全体を自分たちで片づける時間を作りました。習慣づいてくると、苦も無く片づけをして次の活動に移っていました。やるときはやる力はあるのです。

 

また、あそびの一環で作られた秘密基地では、その場所が定着してくると、自分たちのスペースとして片づけをしていきます。ですので、作り始めてしばらくは多少散らかっていても、あえて片付けの声掛けはしません。定着してから片付いていなければ声を掛けますが、そういった場合は素直に掃除に励んでいます。廊下に落ちているゴミは「知らんし―」と拾いはしませんが、自分の基地であれば別なのです。自分が住んでいる町だからと言って、駅前に空き缶が落ちていても拾う人はほとんどいません。けれど、自分の家の前に落ち葉があればホウキで掃きます。利己的であるという話ではなく、人間とはそういうものなのでしょう。なので、町のクリーン作戦がごとく児童館でも定期的に大掃除をしています。もちろん、自分とは無関係のゴミを拾う姿も児童館では多く見られます。これも、「できないのはおかしい」ではなく「できることが素晴らしい」のだと思うのです。

これしてみたい、を逃さないために

 

前述した“あそびと片付け”の話ですが、先日ある保育者からこんな話を聞きました。女の子数名から「秘密基地を作りたい」と相談があったとのこと。それを聞いて、上記の“秘密基地と片付け”の話を共有していた保育者が「いいけど片付けしいや」と声をかけたそうです。そうするとその子は「じゃあいいや」と辞めてしまいそうになったとのこと。「やってしまった」とすぐに訂正して秘密基地づくりは開始されたそうですが、しばらくその職員は「意図せずに子どものあそびを制限してしまった」と落ち込んでいました。

 

そのあそびが本当に面白かったら片付けも厭わないのでは、と思われるかもしれませんが、そのもののおもしろさって遊びこまないとわからないものです。釣りも料理も絵画もなんでも、片付けが先に立つと面白みが半減します。後始末よりも料理の楽しさを、料理の楽しさよりもまず食べる喜びをおなか一杯味わうことで、あそびも活動も生活も充実する。そんな経験を通して生活も充実して欲しいと考えています。

 

片付けしなくていい、ほったらかし

 

ではなく、片付けは大事だけれど、それよりも優先していることがある。というお話でした。色んな視点から子どもたちの姿を見つめ、フォローしながら生活を支援しています。見た目が悪い時もありますが、目の前の見栄えよりも目の前の子どもの姿を大切にしたいと思っています。